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10/27
ベリーデンジャラスメモリー
雨を見ながらぼんやりしてたら、つらつらとママンの伝説を思い出した。

ある日家に帰ると出し抜けにママンが
ダミ声で「ワッチャネー!」と言ってきた。
中指を立てている。
のけぞる私。

睡夢の脳内コンピューターが即座に計算する。

~脳内のつぶやき~

これさぁ、「ファッ○ユー!」の間違いじゃね?
中指立ててるし。ダミ声だし。
さては何かアメリカ映画でも観て影響されたな。
まさかこの歳になってママンから名前を聞かれるとはねぇ。
超シュール。あなたが付けた名前ですよう~。

~0.8秒経過~

とりあえず私も負けじと中指を立てて
「マイネームイズスイム!」
と言ってみた(精一杯のダミ声で)。

詳細は省いて、外国人の前で中指は立てるな!命にかかわる!とだけは伝えたYo。
ディスイズジャパニーズまごころ。Oh Yes!

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10/19
2008年2月のママン・2
1の続きです(→過去記事リンク)。

老人性のウツ?と私が思ったのは60歳という年齢的なこと、そして「老い」に対してママンが過敏になっていたからなのだ。

ママンは家族の私がひいき目に見てることを差し引いても、見た目が若い方だと思う。
美容院も定期的に行って(私は半年に1度ペースなんだけど~(笑))ヘアスタイルを保っていたし、服はジーパン主体でシンプル。

2月後半から、何もかもが不安みたいだった。

「着るものが無い、外に出れない」
もうすぐ春なのに服が無い、っていつも言ってた。
つってもシーズンごとに流行の服を買う習慣なんて無いんだよ?今年に限ってなんでやねん!と思った。
でも説明してもダメなんだよね。春だからって(笑)何それ?みたく言ってしまっていた。
そんでカレンダー的なことを妙に気にする。肌寒いから厚着してると、もう4月だからそんな格好、変だよ…そんな人いないでしょ、とか。他人の目を気にしてる感じ。

「顔色が悪くて服が似合わない」
言い始めのころは気のせいだったけど、この後本当になっていった。食欲が無くなり、眠れなくなって。ギリギリ外出できてたこの時期、一緒に服を探しに行ったけど、顔色が悪いってことを理由に全部却下、何も買えず。

今までの働き者のママンを知ってるから、家族はみんな、疲れてるんなら休めばいいし~って思っていた。
んで、なんと3月に入ってママンは自ら病院を探して行ったのです。
これでひと安心(←楽観的過ぎorz)と思いきや、段々妄想を口にするようになってきた。あれれ?

でも、「人目を気にしてる雰囲気のつじつまが合うな」とは思った。「こんなんじゃ外に出れない」っていう理由が回りくどくて、他に理由があるのかも?って感じだったので。
もちろん、「老い」に対する恐怖も少なからずあると思うけど、それと平行して、同等(もしくはそれ以上)に妄想がママンを苦しめていたのだ。

うーん、精神的な病気って線引きが難しい。病名って分かるとホッとするけど、だから何?みたいな(笑)

昔知人が、「酒飲んで色々しゃべっちゃって自己嫌悪」とか「1日の終わりはひとり反省会だよ」とか言ってて、「なんだ他の人もそうなんだ~」って思ったけど、それで私が変わるわけじゃないんだよね…たとえが間違ってますか(笑)

自分の一存ではどーにもできない苦しさを抱えてる、って意味では病気は全部同じかも…こうやって書いてるとそう思う。

(またいつかに続く)

10/09
2008年2月のママン・1
新しい手帳が並び始めてるのぅ。欲しいぞ欲しいぞ。
ここ数年、9月・10月始まりの手帳を見かけるけど、
そしてそれは一刻も早く新品のノートに何かを書いてみたい
紙モノ初期状態フェチである私にとってたまらない状況なのであるが、
今の手帳の11月以降の立場について想いをめぐらさずにはいられない。
切り抜きを貼ったりポエムコーナーを作ったりして使ってあげてね!涙。

文房具とかの細かい消費、好きなんですけどね。
10月始まり便利ですけども。「せかされる消費★感」は否めませんな。
ま、1年の区切りは人それぞれか。

使ってる手帳を眺めていたら
思ってたよりもママンについて書いていたので
記憶が薄れないうちに少しずつまとめます。

私はごるごをすぐに理解できなかった。「統合失調症」を知らなかった。
叔父のこと(→過去記事リンク)があったり、
一般教養で「精神医学」の授業をとったり、
「こころ」ってモンに多少なりとも興味があったにもかかわらず、だ。
やぱしニンゲン、自分の身近に起こらないことは他人事すね。それは仕方のないことだけど。

ここで述べるのはあくまでウチのママンの例です。
睡夢は現在も絶賛勉強中のシロートであることにご注意くださいNe。
だけどその上でなんか、絶賛戸惑い中の人の参考になったらいいなと思う。


ママンは超働き者で几帳面だった。
朝から洗濯をし、洗濯機を回しながら掃除、家族が出かけてすぐ、午前中パートへGo。
午後帰ってきたら昼メシ前にまず洗濯物を取りこみ、夕方まではテレビ&ちょっと昼寝タイム。
そして買い物、夕飯の用意。
常にパタパタと動き回っていた。

あえ?最近、元気無いなーと思ったのは2月頃。
いつもの午後のママンは、あ~働いた~って感じで、なんつーの充実感?清々しい疲労?
「あ~働いた~って雰囲気」としか言いようがないんだけど、そういう波が伝わってきてた。

それがテレビもつけずに座って何かを考えてる風で。
隣の部屋にいても精気が無いのが伝わってくる。
具合悪いのかな?と私が代わりに買い物に行くことにするけど、買い物メモを作るのに異常に時間がかかる。
夕食のメニューが思いつかないのはまだいーんだ。
タマゴ、買っといたほうがいいと思う?って、常備してるものを買い足すかどうかの判断もサラッといかない。

この時私は、老人性のウツ?と思っていた。
目立って更年期障害に悩んでたようすが無かったから、今になって年齢的な疲れが出てきたのかな?と。

(いつかに続くよ)

08/20
ママンの薬嫌いの理由
叔父の入院日記(→過去記事リンク)を読み返して、今更ながら
これを手に入れた時、なんでちゃんと読まなかったんだ!
と悔やまれてならない。

書いてあることは普通だったんだもん。
家族のことと自分のこれからについての不安、
あとはお父さんに(ママンのママン=私の母方のおばーちゃんはママンが高校生のとき亡くなった)
早く迎えに来て欲しいと繰り返し書いてある。

分かんないよ。これだけじゃ。
だって普通じゃん。普通に思う心細さじゃん。

私が今回読んでがっくりきたのは、
叔父が入院の過程を年表にしていた部分と飲んでいた薬のメモだ。
どっちも日記本体とは別の紙片に記してあり、ひらりとノートに挟んである。
それもあって私は見落としてたんだろう。
これが手がかりだった。

日記とは別に、ママンがこの紙を直感でピックアップしてきたんだとしたら、
すごい偶然だ。
ママンは叔父の病気についていつかちゃんと知りたかったんだと思う。
もしくは、私に解読して欲しかったんだ。

薬は英数字で書いてあって、叔父は病名や薬の名前を知らなかったと思われる。
知ってたら自分で調べてるはず。
雑学メモとか当時のニュースとかたくさん書いてあるんだもの。

15年くらい前のこと。統合失調症が精神分裂病と呼ばれていたころのこと。
ウチにパソコンが無かったころのこと。

英数字をググってみる。ああ、これ薬の識別コードって言うのか。

レボトミン、ロドピン、ハロステン、セレネース、ルバトレン…。
月単位で処方が変わってる。
朝昼晩、他にも(おそらく睡眠薬とか便秘薬とか胃薬?識別コードが書いてない)たくさんの薬。

そして年表。
少し中途半端になってるんだけど、最初の入院は私が4歳のときだ。
それから10年足らずの間に少なくとも5回、入退院を繰り返している。

大人の会話の端々に「退院したら薬を飲まなくなって…」とか
「声が聞こえるらしい」とか耳にした記憶、小さいころ「お見舞い」に行った記憶が繋がっていく。
そんな何年も、ママンは心を痛めていたんだ。
ウツじゃないじゃん…。

1枚の写真。病院の行事なんだろう、海水浴の写真。
ぷよっとしたお腹で、水着の叔父が笑ってる。
私がお見舞いに行ったときは、
「おじさん身体鍛えてるんだよ!」って上半身ハダカになって、
私の記憶の中でその姿は浅黒く焼けて、確かに筋肉質だった。

前の記事で(→過去記事リンク)ママンの薬嫌いの理由に心あたりがあると書いたけど
叔父のことが大きく関係してると思う。

色んな薬を試して、体型も変わって、だけど結局何にもならなかった。治らない。薬は恐い。
そう思っていると思う。
昔から頭痛の薬でさえすんなり飲んでなかった。小児用バファリンをちょっとだけ飲んでた。
ママンの薬嫌いは根が深い。

私にだってオトートがいる。ヤツが死んだら哀しい。
単純なこと。もっと叔父のことをママンと話すべきだったと思う。

07/26
無知の恥と哀しみと
どう書き出したらいいのか分からなくて書いてないことがある。
書く必要があるのか、も決めかねていた。

整理したい。知りたい。分かりたい。
だからってどうなるわけじゃないけど、書く。

※例によって長文になりますよ~ん。


ママンには弟(つまり私にとっては叔父)が何人かいて、
ひとり、心を患って亡くなった人がいる。自殺です。
私が中学生の頃でした。

住んでるところが遠いので、会ったことがほとんど無い。
小さいとき一度、「お見舞い」に行った記憶がある。
帰りの電車の中で、ママンが静かに涙を流していたのも覚えている。

すごくよく覚えている。
窓の外を見ながら、ママンの鼻は真っ赤で。
私は手をママンのヒザに置いてて。

どうしておじさんが入院しているのかは分からなかった。
だから、時が経って自殺の話を聞いたときも、
話が全然まったくつながらなかったのだ。

鬱だったのかな…。それ以上詳しく知ろうとしなかった。
ママンに、なんて言葉をかけたらいいのか分からなかった。
それは今でも分からないけど、
今の私だったら、もうちょっとなんか、できてた。

結局ママンは、中学生の私と小学生のオトート、
そしてパピーのために、慌ただしく日常に戻らざるをえなかった。

それが救いになってた部分もあるのかもしれない。
でもママンはゆっくりちゃんと、哀しむことができたんだろうか。
私はそれを共有しようとするべきだったんじゃないのか。


1冊のノートを、読み返す気持ちの余裕が出てきた。
お葬式の後、ママンが形見として持ってきたおじさんの日記の一部。

私は小・中といちおー優等生で(笑)
地域の文集に作文が載ったりしていた。
それが、いかにも大人ウケをねらったヤラしい文なのよね~。
いやまぁ、いい思い出だけど。ママンも嬉しかったろうし。

「あんた、これ読んでなんか書きなさい」
冗談混じりにママンが言って、私にノートを渡してくれたのだ。
だから、書くことにした。
昔の会話だけど、今も有効だよね?ママン!

ママンはおじさんが何で死んだのか、知りたかったのかな。

この前聞いたら、パピーはノートの存在を知らなかった。
私に、解読して欲しかったのかな。
なんでもっと早く、ちゃんと読まなかったんだろう。

統合失調症が発症したことの原因探しなんて、しても意味ない。
現実的に薬を飲んで、話はそれからだ。脳の病気だ。
それは分かってる。
でもそこは主にもっち先生に担当してもらうとして(笑)

私は、自分の無知に対する後悔と哀しみについてちゃんと考えたい。

ヒトのココロなんて絶対分からないじゃん。
キモチワルイ、コワい、ウンザリって感じることあった。

でも大丈夫だから好きなだけ考えな!
深~いところまで行き過ぎちゃったら、
ひっぱり上げるよぉ~って私の中身が言っている。
れおんじゃないな、もっと前から私の一部だったコだ。
今度名前を付けたげよう。

ブログどころじゃなかった我が家のパニクり期のこと、
(完全に自己満足だけど追悼の意を込めて)おじさんのこと、
ママンの発症前のことを書くカテゴリー「ブログ前のこと」作りました。

どーぞよろしゅうに。では再見!

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